2005年 10月 11日
「APRU DLI2005に行ってきた:貧困と闘う」
中原さんのブログの 2005年10月7日のタイトルです。
 APRU DLI2005に行ってきた:貧困と闘う
 これの下のほうに、
 特に僕が印象に残ったのは遠隔教育(eラーニング)が「貧困と闘うためのツール」として利用されているという事実であった。
 日本の遠隔教育で、このようなお題目を掲げているところは、ほとんどないのではないかと思う。

これは、日本の視察団がヨーロッパにいっても、パソコンがずらっと並んだ「立派な設備」を見てくるだけで、「ITで築く確かな学力」なんておめでたい言葉を付けて「ハコの整備が必要」というレポートをだしてるからでしょう。
 これ、いっしょに仕事をしている(というか客先の)N先生が
  ITで気づく確かな学力
って言い換えた発表をおととしあたりからしていたら、いつの間にか広まって教育工学の先生もこのフレーズを使っておられますね。でも、ほんとにそうなんですから。

閑話休題
 うちのボスは、フランスの学校視察を知り合いにお願いしたら「夜に来い」といわれて、夜の学校のパソコン教室を見学したそうです。そこでは不就労の若者を引っ張ってきてIT教育をし、就労できるようにしていたそうです。
 EUは本気で「社会不安を無くす」ためにIT教育が必要だと考え、そのためのカリキュラムも、M-Learningも研究し、そのひとつが学校のパソコン教室ということのようです。そういう報告はあまり見ないでしょ? なぜでしょうね?
 ほんとに不思議です。

 勉強する意欲が無いヒトには、どんなすばらしい設備も「猫に小判」「豚に真珠」。学力が落ちた、ニートが増えている、というのは、親が「学校に行っていれば」「大学を卒業できたら」と思っているだけで、子どもは我慢して「いくだけ行ってやる」という体裁に付き合ってくれているだけなのではないでしょうか。
 災害ボランティアの活動をみても、やる気になった若者はすばらしいと皆がいってます。
子どもたちは大学卒業する頃になってはじめて思春期になって、迷ってるんじゃないでしょうかねぇ。
 あと、教える方も「考えさせてる」とかいいながら、単に受験技術を教えているだけ、というか教える側の独りよがりを押し付けていることに気づいていないとか思うんです。
 最近の「酒井式」図画工作とか「水からの伝言」の道徳教育の記事をみてると、やっぱり悩める先生には愛の手がないと隘路にはまっちゃうな、と思いますね。
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by ji3faf | 2005-10-11 04:13 | 情報教育


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