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2005年 09月 09日
あれは「43C」ではなかったか?
9月6日放送のプロジェクトX 「回避せよ 東京湾炎上」で、「ひょっとしたら」と思うものが背景に写ってました。
プロジェクトは、海洋レーダーに取り組む沖電気の技術者をも巻き込む総力戦となった。

ということで、番組開始から30~31分ころに沖電気の黒崎さんのインタビューがあるのですが、その背景にはミニコンが写っています。
 「CPU」と右上にあるのがわかりますが、あのランプの配置、ピアノ・キーの配置は、ひょっとしたら「OKITAC 4300C」ではないかと思うのです。
 ピントがぼけてるのですが、「CPU」の左の方はなんとなく「4300C」と見えるのですが、気のせいかなぁ。
 ウチのかみさんと2人で、「やっぱり43Cやで」といってるんですが。

 いや、なんでこだわってるかというと、大学のときにその上位機の4500と4300を使っていたからです。
 4500は「DOS45」で、4300は「SAP43」で動作させてチャネル結合させてました。4500でグラフィックの計算させてその結果を4300に送って、4300がテクトロニクスのストレージ管型グラフィックディスプレイに描写させてたんです。
 いやー、
  ・Fortranやアセンブラはもとより、機械語まで覚えたのも、
  ・16進数覚えたのも、
  ・ブートストラップの早撃ち競争したのも、
  ・逆アセンブラつくって(FORTRANではビット演算できないから、アセンブラでビット演算のサブルーチンや、ハードディスクのトラックとをセクターを指定して読み出すサブルーチンを作りました)DOSの仕組みを勉強したのも、
  ・プログラムが大きくなって実行できなくなったときは、メインルーチンはメモリに常駐させて、必要なサブルーチンは必要なときにだけメモリーに呼び出すようにオーバーレイする方法をリンカーへの命令で指定する方法を覚えたのも(それが必要になったのはスタートレックゲームでコマンドを増やしたためとはとてもいえない!(^^)!、
  ・リンカーに、リンクするライブラリの順序指定がなぜ重要なのか(名前解決問題)を体験で覚えたのも、
ぜーんぶOKITACでしたから。
 そのあとはMELCOM COSMO700Sでした。これのOSはunixをtelnetで使ってるみたいな感じだったんですが、それは当然でオリジナルはXEROXのSigmaOSだったようです。

 閑話休題。もう、OKITACの技術文書は読み漁って使い倒しましたからねぇ。マニュアルでは「実行アドレス」「実効アドレス」が誤植なのか、意図的なのかまざって使われていたのには閉口しました。

 ま、それも、これも、先輩や、理解ある先生のおかげ。当時は神棚といわれるコンピュータを、学部学生が管理者まがいのことまでして(ディスクドライブのテープへのバックアップは当然。当時はフォントすら手作りで漢字処理をしてました。CPUとディスクパックを何日も独占して漢字混じり文からシソーラス作成処理なんかしてました)勉強できたのですから、私としては幸せでした。

昭和53年ごろの話です。

(2005.9.9 3:21更新)

by ji3faf | 2005-09-09 02:06 | その他


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